ルカ 22:39-62

「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」(42節)

イエス様は十字架にかかられる直前、ゲッセマネの園で祈られました。もし十字架以外に人が救われる方法があるならば、それに変更してくださいと。しかし、他に方法はありませんでした。使徒パウロは言います。

「兄弟たち。もし私が今でも割礼を宣べ伝えているなら、どうして今なお迫害を受けることがありましょう。それなら、十字架のつまずきは取り除かれているはずです。」(ガラテヤ5:11)

十字架のつまずきは、十字架以外に救いの道はないということです。人は、自分のやり方でも救われるはずだと考えたいのです。他にも方法があると考えたいのです。しかし、他にも方法があるのならば、神の御子が十字架で苦しみ死ぬ必要はありませんでした。十字架だけが神のもとに行くことができる道です。

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