ルカ 22:63-23:25

「ところが、彼らはあくまで主張し続け、十字架につけるよう大声で要求した。そしてついにその声が勝った。」(23:23)

イエス・キリストの十字架は、多数決によって決められました。ローマ帝国の権威をもってエルサレムの地域を治めていたピラトは、イエス・キリストに罪を認めず、釈放しようとしました。しかし、群集の声に彼は負けたのです。私たちは民主主義を美化しすぎて、その弱点を忘れないように気をつける必要があります。「赤信号、皆で渡れば怖くない」という側面が民主主義にあります。多数がいつも正しいとは限りません。少数意見の方が正しいこともあります。私たちはマス・メディアによって作り出される多数派の意見に振り回されるのではなく、神の御言葉を優先するように気をつける必要があります。残念ながら教会の歴史は人間の主張が勝ち、混乱してきました。教会が人間の声ではなく、神の声が勝つ場所となりますようにお祈りください。

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