「そのとき、イエスはこう言われた。『父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。』」(23:34)
イエス様は、自分をあざけり、罵る人々を前にして、何も言い返すことはありませんでした。日本的には、「無念」という場面ですが、イエス様は違いました。それでもなお、目の前で罵声を浴びせるその人々を愛し、とりなしの祈りをされたのです。自分に対して、いいことをしてくれる人のために祈ることはそんなに難しいことではありません。しかし、自分を傷つける人のために、裁きが下るようにではなく、とりなしの祈りをするということは、とても難しいことだと思います。しかし、神の霊はそのような人々のために祈るように私たちを導き、力を与えてくださるお方です。なぜなら、まさにイエス様をあざけっていたのは私たちであり、イエス様の恵みのゆえに私たちは今があるからです。