「ナタナエルは彼に言った。「ナザレから何の良いものが出るだろう。」ピリポは言った。「来て、そして、見なさい。」」(1:46)
ナザレはヘロデ大王の息子ヘロデが再建したセッフォリスというギリシャ・ローマ風の大都市に近い村で、旧約聖書にも、歴史家ヨセフスの記述にも出てこない小さな村でした。それでナタナエルは、ナザレの人が
「モーセが律法の中に書き、預言者たちも書いている方」(45節)
のはずがないと考えました。そんな偏見に凝り固まっていたナタナエルに、ピリポは言いました。
「来て、そして、見なさい。」
イエス様のもとに来て、イエス様を見なければ、体験しなければ、分からない世界があります。今、ナタナエルのように肉眼でイエス様を見ることはできません。しかし、聖霊によって、神の愛を体験することができます。
「私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」(ローマ5:5)