「私はこのことばを聞いたとき、すわって泣き、数日の間、喪に服し、断食して天の神の前に祈って」(4節)
ネヘミヤは「王の献酌官」(11節)でした。彼はそのままで、彼の生活は保障されていたようなものでした。しかし、人生というのは、自分の生活が保障されていればいいというものでもないのではないでしょうか。神様は私たち一人一人に目的をもって造られました、ですから、私たちは自分が造られた目的に生きるまでは、どんなに保障されていても満足することはありません。聖書は言います。「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。」(ピリピ2:13)神様は私たちの内側に働かれて、ネヘミヤがそうであったように、私たちがいてもたってもいられなくされます。私たちが心に留めるべきことは、ネヘミヤが数日の間、祈っていたということです。祈りを通してのみ、私たちは神の目的に生きることができるからです。