「そこで、祭司長とパリサイ人たちは議会を召集して言った。「われわれは何をしているのか。あの人が多くのしるしを行なっているというのに。」(11:47)
当時の宗教指導者の悲劇は、神よりも自分たちが正しいと考えていたことでした。だから祈るために集まるのではなく、議論するために議会を招集し、神のみこころよりも自分たちの意見を主張しました。その状況は次のことばでも分かります。
「もしあの人をこのまま放っておくなら、すべての人があの人を信じるようになる。そうなると、ローマ人がやって来て、われわれの土地も国民も奪い取ることになる。」(48節)
すべての人がイエス・キリストを信じるようになるというのが、旧約聖書が指し示していたことなのに、彼らはその妨げとなっていたのです。しかも、その批判的な態度を正当化していたのです。私たちの役割はすべての人がキリストを信じるようになることです。
今日は主の日でありペンテコステの日。主に礼拝を捧げましょう!
※ 本日のSSCの第三礼拝はお休みです