「イエスは彼に答えられた。「わたしは世に向かって公然と話しました。わたしはユダヤ人がみな集まって来る会堂や宮で、いつも教えたのです。隠れて話したことは何もありません。」(18:20)
大祭司が、神の御子イエス・キリストに尋問するというこの恐ろしいパロディに人間の悲しさを感じます。大祭司こそ神に仕える者のはずなのに、神に仕えさせようとするこの愚行…。これこそ人間の罪の極みであり、それを実践しているのが人をとりなすべき大祭司であると言う悲劇に言葉を失います。問題は、はっきりしています。聞く耳が閉ざされていることです。イエス様は公然と話しました。同じように、今も、神様は聖書を通して、教会を通して公然と語られています。