「すると御使いはこう言った。「あなたの祈りと施しは神の前に立ち上って、覚えられています。」(10:4)
コルネリオはユダヤ人ではありませんでした。しかし、彼は祈りの人でした。そして、御使いは明確に、彼の祈りは覚えられていると言いました。彼はまた、施しの人でした。御使いは彼の施しも覚えられていると言いました。聖書は、私たちは行いではなく、一方的な神の恵みによって救われると言います。
「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」(エペソ2:8,9)
しかし、それは、私たちの祈り、施しが無意味ということではありません。神は私たちの小さな祈りに答えられる神であり、私たちの小さな施しを用いられる神です。