「主がお許しになるなら、あなたがたのところにしばらく滞在したいと願ってい ます。」(7節) 使徒パウロは、自分の宣教旅行計画をコリントの教会の人々に伝えるのです が、こう付け加えました。「主がお許しになるなら。」ヤコブの手紙の中にこう いう箇所があります。「明日どんなことが我が身に起こるか、どうして分かるで しょう。・・・ですから、こう言うべきです。『主がお許しくださるなら、私 は、あのこと、このことをしよう。』」(4:14,15LB)神の民として、私 たちは未来に関してこのような柔軟な姿勢を持つ必要があります。自分の計画に こだわって、神の介入を受け止めることができないのは、寂しいことです。神様 は私たちの人生を最善に導きたいと願っておられます。自分の願いに固執せず、 柔軟に対応していく必要があります。ある牧師はこう言います。「幸いなるか な、柔軟な人。その人は、折れることはない。」 「主よ、柔軟な心を与えてください。」