「ところで、集会は混乱状態に陥り、大多数の者は、なぜ集まったのかさえ知らなかったので、ある者はこのことを叫び、ほかの者は別のことを叫んでいた。」(19:32)
群集心理の恐ろしさは、今も昔も変わりません。パウロを陥れようと始まった集会には、「なぜ集まったのかさえ知らなかった」人たちさえいました。いわゆる憂さ晴らしで集まっていた人たちもいたからです。彼らは扇動者に乗せられ、ますます大混乱に陥ります。37節で町の書記官がパウロたちに非がないことを明確にしていますが、人は群衆になると正当な判断が下せないことがあります。マスコミに煽られないように、私たちは日々、神のみことばに耳を傾け、適切な判断力を祈り求める必要があります。