「そのために、私はいつも、神の前にも人の前にも責められることのない良心を保つように、と最善を尽くしています。」(24:16)
パウロの終末論ははっきりしていました。すべてのことが正される神の裁きの日が来ることを信じていたパウロは、
「いつも良心に恥じない生活を精一杯心がけて」(LB)
いました。もちろん、それは失敗しないということではありません。
「もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」(1ヨハネ1:9)
とあるように、罪を告白しつつ、最善を尽くして生きていくということです。もちろん、私たちはただ神の恵みによって救われます(エペソ2:8,9参照)が、それは、良心に恥じない生活を心がけなくていいという許可証ではありません。イエス・キリストの十字架の御業は、私たちがすでに良心に恥じない生き方をするためでもあります。