「私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。ですから、この私は、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです。」(25節)
「この私」をパウロと考えて、この七章の内容はパウロが救われる前の話か、それとも救われた後の話かという議論がなされてきました。ところが、シュテンダールが、「私」はパウロ自身のことではないと主張したことを通して新たな視点が開かれました。パウロ自身の葛藤を描いているのではなく、旧約聖書で扱われているイスラエル民族の葛藤だと言うのです。確かに、イスラエルの民の問題は罪でした。そう考えると、24節は旧約聖書の結論と言えます。
「私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。」
そして、この問題の解決が25節。
「神に感謝!私たちの主のキリスト・イエスを通して!」(直訳)
今日は主の日。主イエス・キリストに感謝と賛美と礼拝を捧げましょう!