「だれかが弱くて、私が弱くない、ということがあるでしょうか。だれかがつまずいていて、私の心が激しく痛まないでおられましょうか。」(11:29)
今日の箇所をLBではこう訳しています。
「誤った道を進んでいる人を見て、悲しまないでいられるでしょうか。倒れている人を見て、知らん顔ができるでしょうか。精神的に痛手を受けている人を見て、傷つけた相手に激しく怒らずにいられるでしょうか。」
この表現に使徒パウロの教会に対する思いを見ることができます。いや、使徒パウロに与えられたキリストの教会に対する思いを見ることができます。教会は、キリストの花嫁だという箇所があるように、神にとって教会は、あってもなくてもいい存在ではありません。西洋の個人主義の影響で、信仰の個人的側面が過度に強調され、地域教会を過小評価する傾向が強くなっていますが、それは、神の思いではありません。「主よ、あなたの教会を大切にできますように。」