「神は聖徒たちに、この奥義が異邦人の間にあってどのように栄光に富んだものであるかを、知らせたいと思われたのです。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。」(1:27)
「異邦人の間にあって」と訳された単語は、「全世界で」と理解できます。すなわち神の全世界の救いのための秘密の計画が、王なるイエス・キリストの知らせによって、明るみになったということです。その奥義とは、イエス・キリストを信じる人々のただ中に、すなわち教会に、栄光の主、イエス・キリストが、聖霊によって住んでくださるということです。だからパウロは言います。
「私は、キリストのからだ、すなわち教会のために、自分の身をもって、キリストの苦しみの欠けた所を満たしているのです。」(24節新改訳二〇一七)
教会はこの世界の希望です。なぜなら、栄光の望み、キリストがおられるからです。