「そのためにも、私たちはいつも、あなたがたのために祈っています。どうか、私たちの神が、あなたがたをお召しにふさわしい者にし、また御力によって、善を慕うあらゆる願いと信仰の働きとを全うしてくださいますように。」(1:11)
使徒パウロがテサロニケの教会の信徒たちのために祈っていたことは、まず第一番目に、「召しにふさわしい者」となれるようにということでした。私たち一人一人に神の「召し・召命」(Call)があります。イエス様も言われました。
「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。」(ヨハネ15:16)
神の召命にふさわしい生き方を全うすることできますように。