先週こんなことがありました。次男が朝9時に港南台に行かなければならなかったので、15分前になった時に『しおん、遅れますよ。』と声をかけてあげました。すると『あーはいはいはいはい』と何とも軽い返事が。さらにそこから5分経っても出かける気配がありません。もういちど、『しおん、遅れるよ!』と強めに言ったところ『聞こえてるって。ありがとう!』となぜか頓珍漢な返事。ありがとうってなぜ??小さなパニックを起こしていると『準備できたよ!送ってくれるんでしょ?』というのです。「おくれるよ」という同じ言葉で、お互いに違う意味をイメージしていたのです。この場合、次男は何とも都合のいい解釈だと思うのですが、結局私が車で送ることになってしまいました。笑い話のようですが、でも聖書を読むうえでこういうことってありませんか?時として自分のフィルターが邪魔をしてしまい、本来聖書が語っていることを間違って解釈し聖書が語っている以上に読み込んでしまう。そうならないためにも、前後の文脈を確認することが大切なのですね。(小山晶子牧師婦人)
ハレルヤ!
主を賛美します!
スマホを変えて、いろいろ不便なのですが、操作しているうちに、晶子姉妹の書き込みに出会えて感謝てす✨
いつも日曜日のショートメッセージ楽しみに読ませていただいています。感謝します‼️