「まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行ないから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。」(9:14)
血によって象徴される動物のいけにえは、私たちの身代わりに死をもっていのちを与える神のあがないのしるしでした。罪の汚れからきよめ、生ける神を礼拝する者としました。キリストの十字架の死も同じように、キリストを信じる者の罪をあがない、きよめ、生ける神を礼拝する者とすると言います。キリストの十字架の御業は動物のいけにえよりも完全です。
「ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所にはいり、永遠の贖いを成し遂げられたのです。」(12節)
動物のいけにえとは違い、キリストの贖いは「ただ一度」で「成し遂げられた」のです。
「キリストの血は、どれほど確実に私たちの心と生活を変えることでしょう。」(LB)