「あなたがたはすでに、主がいつくしみ深い方であることを味わっているのです。」(2:3)
二〇一八年もあともう少しで過ぎ去ろうとしています。今年の栄シャロームの年間聖句がちょうどこの箇所でした。主がいつくしみ深い方であることを味わっているならば、主のみことばを慕い求め、成長していく。N・T・ライトという学者がこう言っています。
「クリスチャン生活の中心の一つは、主が恵み深いことを味わうことである。」
「いつくしみ深い」と訳された単語は、「良い、親切な、やさしい、なさけ深い、慈愛深い、思いやりある、恵み深い、」という意味です。つまり、キリスト教の神、聖書の神は、良い、親切な、やさしい、なさけ深い、慈愛深い、思いやりある、恵み深い神であるということです。キリスト者として大事なことの一つは、日々の生活の中で、神を、良い、親切な、やさしい、なさけ深い、慈愛深い、思いやりある、恵み深いお方として、体験することです。