「悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。」(3:9)
やられたらやりかえす、それが普通の感情だと思います。しかし、聖書の生き方は違います。私たちは祝福を与えるようにと命じられています。なぜなら、私たちは
「祝福を受け継ぐために召されたのだからです。」
私たちの存在が、神の御国をこの地に現わすものとなるためには、祝福を祈る者となる必要があります。聖書は言います。
「いのちを愛し、幸いせな日々を見ようと願う者は、舌に悪口を言わせず、唇に欺きを語らせるな。悪を離れて善を行い、平和を求め、それを追え。主の目は正しい人たちの上にあり、主の耳は彼らの叫びに傾けられる。しかし主の顔は、悪をなす者どもに敵対する。」(10‐12節新改訳二〇一七)
私たちは、日々、聖霊の助けを祈り求める必要があります。