からだのかなめ

先週火曜日は玉川聖学院でリラとしてクリスマスコンサートを行ってきました。無事コンサートを終え帰宅したのですが、数時間立ちっぱなしで歌っていたせいか腰のあたりに少し違和感がありました。一晩眠れば治るだろうと早々にその日は就寝したのですが、次の日、ベッドから起き上がろうとした瞬間腰にかつてないほどの激痛が走ったのです。少し体を起こした態勢だったので、向きを変えようと思ったのですがとにかく痛くてどこにも身体の方向を変えることができません。その日は一日中ベッドに横たわって痛みに耐えるしかありませんでした。夕方ごろからは熱も出始め、寒気と身の置き所のなさと痛みとでかなりつらい時間を過ごしました。腰を痛めると、何もできないのですね。まさに体のかなめ。そしてこうも思ったのです。{信仰のかなめはイエス様だ。}イエス様がかなめとなっていなければ信仰生活においても本当の意味で何もできない、ということだと思います。私たちの、そして教会のかなめがイエス様になっているかどうかが「要」ですね。(小山晶子牧師婦人)

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