「今でも天には、私の証人がおられます。私を保証してくださる方は高い所におられます。」(16:19)
ヨブは、家族からも、友人からも理解されず、彼の唯一の希望は天にて自分をとりなしてくださる存在でした。
「その方が、人のために神にとりなしをしてくださいますように。人の子がその友のために。」(21節)
ヨブはその方がよく分かりませんでした。しかし、私たちは今、その方を知っています。聖書は言います。
「したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。」(ヘブル7:25)
四方八方ふさがっているように見えても天は開いています。私たちは天におられるこのお方に目を向けることができます。私たちはこのお方を知っています。私たちと同じように苦難を体験された神の御子は、私たちの思いを理解し、今日もとりなしてくださっています。