出エジプト 33:7-34:35

「それから、モーセはシナイ山から降りて来た。モーセが山を降りて来たとき、その手に二枚のあかしの石の板を持っていた。彼は、主と話したので自分の顔のはだが光を放ったのを知らなかった。」(34:29)

私たちはモーセがそうであったように、主との関係の中で輝くことができます。使徒パウロはこう解説しています。

「しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」(Ⅱコリント3:16-18)

詩人はこう歌いました。

「彼らが主を仰ぎ見ると、彼らは輝いた。」(詩篇34:5)

主に向き、主を仰ぎ見、主との時間をとるならば輝くことができます。主の栄光を反映するからです。

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