レビ記 21:1-22:33

「また、人が特別の誓願を果たすため、あるいは進んでささげるささげ物として、牛か羊の中から和解のいけにえを主にささげるときは、それが受け入れられるためには傷のないものでなければならない。それにはどのような欠陥もあってはならない。」(22:21)

いけにえをささげるときに、それは傷のないものでなければいけないと神は言われました。そのように言わなければ、人は残り物や、どうでもいいものを捧げるという傾向があることを知っていたからだと思われます。自分にとって痛くも痒くもない物を捧げると言う姿勢は神を敬っているとは言えません。神はアクセサリーではなく、王の王、主の主なる偉大なる神です。もっとも、究極的に傷のないささげ物は、神がすでに捧げられました。それは、イエス・キリストです。イエス・キリストの十字架の御業のゆえに私たちは救い、癒されます。
今日は主の日。共に主に礼拝を捧げましょう!

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