「次に会見の天幕、すなわちレビ人の宿営は、これらの宿営の中央にあって進まなければならない。彼らが宿営する場合と同じように、おのおの自分の場所について彼らの旗に従って進まなければならない。」(2:17)
会見の天幕を中央に宿営し、進むようにと命じられています。つまり、神の存在(臨在)をイスラエルの民の中央に歓迎し、臨在の民として前進することが命じられています。教会のイメージも同じです。
「もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。」(ローマ8:9)
神の御霊は会見の天幕がほのめかしていた神の臨在そのものです。ですから、教会はイスラエルの民がそうであったように、常に神の臨在を意識し、臨在の民として前進することが求められています。