民数記 23:27-26:11

「祭司アロンの子エルアザルの子ピネハスは、わたしのねたみをイスラエル人の間で自分のねたみとしたことで、わたしの憤りを彼らから引っ込めさせた。わたしは、わたしのねたみによってイスラエル人を絶ち滅ぼすことはしなかった。」(25:11)

ピネハスは、イスラエルから主の燃える怒りを離れさせるために、悪事に目をつぶることなく、処刑しました。イエス様の時代のパリサイ人たちが模範としていたのは、このピネハスでした。イエス様に出会う前の使徒パウロも、イスラエルの国の罪が赦され、ローマ帝国から解放されるために、神の律法に違反していると考えられる人たちを、このピネハスを模範として次々に粛清していきました。ピネハスの行動は、確かにこの箇所では称賛されています。しかし、今、すべての罪はイエス・キリストの十字架によって赦されました。神が求められているのは粛清ではなく、イエス・キリストを信じることです。

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