「全地の主である主の箱をかつぐ祭司たちの足の裏が、ヨルダン川の水の中にとどまると、ヨルダン川の水は、上から流れ下って来る水がせきとめられ、せきをなして立つようになる。」(3:13)
神は私たちが成長することができるように信仰のレッスンを与える方です。15節にはこう記されています。
「ちょうど刈り入れの季節を迎えたヨルダン川は、岸いっぱいに水をたたえていました。イスラエルの民が川を渡ろうと出発し、箱をかつぐ祭司たちが足を入れた時、突然、はるか川上のツァレタン付近の町アダムで水はせき止めたられ、盛り上がり始めたのです。」(LB)
彼らが足を入れるまで、水はそこにありました。彼らの足は濡れる必要がありました。しかし、足を入れた瞬間、ヨルダン川の流れは止まりました。神は私たちに、たとえその足が濡れても、信仰の一歩を踏み出して欲しいと願われます。