「イスラエル人が主に叫び求めたとき、主はイスラエル人のために、彼らを救うひとりの救助者、カレブの弟ケナズの子オテニエルを起こされた。」(3:9)
士師記には一つのサイクルがあります。まず「背信」。
「イスラエル人は、主の目の前に悪を行ない、彼らの神、主を忘れ」(7節)。
その結果、彼らは蒔いた種を刈り取り、他国の支配に屈します。何年間かの苦しみの後、人々は神に叫び求めます。神は彼らの叫びを聞かれ、士師を起こし、彼らを救います。(この箇所ではオテニエル)
「しかし、さばきつかさ(士師)が死ぬと、彼らはいつも逆戻りして、先祖たちよりも、いっそう堕落して、ほかの神々に従い、それに仕え、それを拝んだ。彼らはその行ないや、頑迷な生き方を捨てなかった。」(2:19)
このサイクルが繰り返されます。
解放されるために聖霊が必要です。(ローマ8:2参照)
聖霊を求めましょう。
今日は主の日です。共に主に礼拝を捧げましょう!