士師記 16:1-17:13

「そのころ、イスラエルには王がなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行なっていた。」(17:6)

哲学者たちは、普遍的な善悪はないと言います。しかし、だからといってめいめいが自分の目に正しいと見えることを行うならば、無秩序状態に陥り、結果的に社会は崩壊していきます。これこそアダムとエバが禁じられた善悪の知識の木のから食べたことに起因する死の現実です。士師記はそのことを証明しています。人は普遍的な善悪を必要としています。そして、普遍的な善悪は、神のみことばである聖書の中で告げられています。聖書は言います。

「主はあなたに告げられた。人よ、何が良いことなのか、主があなたに何を求めておられるのを。それは、ただ公正を行い、誠実を愛し、へりくだって、あなたの神とともに歩むことではないか。」(ミカ6:8新改訳二〇一七)

自分の基準で生きていくのではなく、神のみことばを信仰と生活の規範として生きていくことが大切です。

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