「私のいのちをあらゆる苦難から救い出してくださった主は生きておられる。」(4:9)
ダビデは、彼のいのちを救い出してくださったのは神だと言うことを理解していました。だから、神に対する聖なる畏れによって生きてました。ここまで導いてくださった神は、今も生きておられて、これからも導いてくださることを確信していたからです。使徒パウロも同じことを告白しています。
「ほんとうに、自分の心の中で死を覚悟しました。これは、もはや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となるためでした。ところが神は、これほどの大きな死の危険から、私たちを救い出してくださいました。また将来も救い出してくださいます。なおも救い出してくださるという望みを、私たちはこの神に置いているのです。」(Ⅱコリント1:9,10)今の自分があるのは神の恵みであることを理解し、今も生きて働かれる神を畏れて歩むことができますように。