「ダビデ王は、それをもまた、彼の征服したすべての国々から取って聖別する銀や金とともに主に聖別してささげた。」(8:11)
ダビデは神のために神殿を建てることは許可されませんでしたが、神殿を建てるための準備をし続けました。ダビデは、「自分が建てることができないなら、自分は何もしない」とは言いませんでした。ダビデは自分の思い通りに神が用いてくれないからと怒りませんでした。彼は無責任に誰かがしてくれるとも言いません。自分の許された範囲で、一生懸命主に仕えました。事実、ダビデが準備したから、その子、ソロモンは神殿を建てることができました。そのようにすべての偉大な働きには表と裏があります。偉大な宣教の働きの陰には、祈りをもって宣教師を支えて宣教の働きに携わった無名の人たちがいます。宣教師も宣教を支える人も、主の目には同じように重要な宣教の働きに携わる人々です。