「王は民の願いを聞き入れなかった。それは、主がかつてシロ人アヒヤを通してネバテの子ヤロブアムに告げられた約束を実現するために、主がそうしむけられたからである。」(12:15)
ソロモン王の息子、レハブアムが王としてイスラエルを治めようとした時、イスラエルの全会衆は言いました。
「あなたの父上は、私たちのくびきをかたくしました。今、あなたは、父上が私たちに負わせた過酷な労働と重いくびきとを軽くしてください。そうすれば、私たちはあなたに仕えましょう。」(4節)
しかし、レハブアム王は民の願いを聞き入れませんでした。その理由を聖書はこう言います。
「主がそうしむけられたからである」。
聖書でもっとも難しいのは、この神の主権と人間の自由意志の問題です。レハブアム王は確かに自分の意志で選択しました。しかし、神の御手の中にありました。私たちはその両面性を信じ受け入れるしかありません。今日は主の日。共に主に礼拝を捧げましょう!