「アハズ王がアッシリヤの王ティグラテ・ピレセルに会うためダマスコに行ったとき、ダマスコにある祭壇を見た。すると、アハズ王は、詳細な作り方のついた、祭壇の図面とその模型を、祭司ウリヤに送った。」(16:10)
アハズ王は、アッシリヤ帝国の力の背後に、より力がある神々の存在があると考えました。それで、アッシリヤ帝国と同じ神々を礼拝すればイスラエルの国も繁栄すると短絡的に考えます。悲しいことに、祭司たちもそれに従い、生ける神の神殿はアッシリヤ帝国の神々のために変えられてしまいます。結局のところ、彼らは神を神とせず、自分の益のために利用できる神々かどうかとしか見ていなかったのです。それで、自分の思い通りに向かわないから、より強そうな神々へと簡単に乗り換えてしまったのです。そもそも、十字架にかかられた生ける神は、私たちの思い通りにはなりません。神は神であり、人は人。何でもできる力ある神ですがジーニーではありません。