「彼は高き所を取り除き、石の柱を打ちこわし、アシェラ像を切り倒し、モーセの作った青銅の蛇を打ち砕いた。そのころまでイスラエル人は、これに香をたいていたからである。これはネフシュタンと呼ばれていた。」(18:4)
民数記21章に、荒野を旅していたイスラエルの民が神に文句を言う出来事が記されています。神は奇蹟的なマナで彼らを養っていたのに、彼らは言いました。
「私たちはこのみじめな食物に飽き飽きした。」(5節)
それで神は燃える蛇を送り、多くのイスラエルの人々が蛇に噛まれて死にました。モーセは、神が命じられたように一つの青銅の蛇を作りました。人々はその青銅の蛇を見上げると、生きました。しかし、イスラエルの人々は、今度はその青銅の蛇を礼拝するようになっていたというのです。神の約束に対する信仰が彼らをいやしたのであって、青銅の蛇の彫像物が彼らをいやしたわけではありません。
神ではなく、道具を崇めていないでしょうか?