「見よ。その日が来る。―神である主の御告げ。―その日、わたしは、この地にききんを送る。パンのききんではない。水に渇くのでもない。実に、主のことばを聞くことのききんである。」(8:11)
イエス様は言われました。
「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」(マタイ4:4)
ですから、「主のことばを聞くききん」は命に関わる内容です。教会が聖書ではなく、人々が好む話ばかりするようになったら、主のことばを聞くことの飢饉は始まっています。聖書は言います。
「御言葉を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても、それを続けなさい。忍耐と教えを尽くして、とがめ、戒め、勧めなさい。誰も健全な教えを聞こうとしない時が来ます。その時、人々は耳触りのよい話を聞こうと、好き勝手に教師たちを寄せ集め、真理から耳を背け、作り話へとそれて行くようになります。」(Ⅱテモテ4:2‐4協会共同訳)