1歴代誌 6:1-81

「箱が安置所に納められて後、ダビデが主の宮の歌をつかさどらせるために立てた人々は次のとおりである。彼らはソロモンがエルサレムに主の宮を建てるまでは、会見の天幕である幕屋の前で、歌をもって仕え、おのおのその定めに従って、奉仕を担当した。」(6:31,32)

ダビデ王は主の宮で一日中賛美の歌を歌うように音楽家たちに命じました。32節を直訳するならば、

「彼らは会見の天幕の臨在の場の前で音楽をもって仕えていた」。

神の臨在がある所には、賛美が満ちています。賛美に満ちている所に神の臨在があります。ですから、教会の中にいつも賛美が流れていることは大切なことです。賛美の音楽は、あってもなくても良いようなものではありません。賛美は人に聞かせるものではなく、神に捧げるものだからです。どんなに立派な大聖堂であっても、神への賛美の音楽が途絶えてしまうならば、教会としての意味を失ってしまっているのかもしれません。

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