「しかし、神は、私の行く道を知っておられる。神は私を調べられる。私は金のように、出て来る。」(10節)
ヨブは苦難の中で、因果応報の法則を越えた神の存在を認めます。ヨブの苦しみは、単純な「因果応報神学」を崩壊させたのです。神の御業は、人間が計算できるようなものではないことを、ヨブは思い知らされたのです。しかし、ヨブは理解できないことのゆえに知っていることを手放すことはしませんでした。「たとえ、わたしが分からなくても、神様はわたしがどこにいるか分かっている。これは試験で、この試験もいつか修了する時が来る。そして、わたし必ず合格する。」使徒パウロはこんなことを言いました。
「あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じているのです。」(ピリピ1:6)
神様がどうして試練を与えるか、私たちの理解を超えています。しかし、良い働きをはじめられた方は、完成してくださいます。