ああ葡萄

今年は例年に比べてかなり葡萄の房が多く、夏の初めには小山牧師がそのひと房ひと房に袋をかけて収穫を心待ちにしていました。ところが先日の台風の折にその多くが地面に落ちてしまいました。せっかく残った房もそのすべてに爪で後をつけたような傷が入っており、よく見ると蟻がせわしげに葡萄の実に出入りしながらせっせと働いています。なんということでしょう。ヨハネ福音書にはイエス様が御自身と私たちを葡萄の木と枝にたとえて語っておられますが、枝についていたってまともな実ができないことがあるんですね。確かに、15章5節には 「人が私にとどまり、私もその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。」この箇所の意味がずーんと心に響いてきました。まだ黙想の最中なのですがすっかりダメになってしまった多くの葡萄の実を見ながら、こうはなりたくないなあと思うのです。良い実を実らせるためには、良い水と正しい栄養が必要なことを思うと、自分の信仰生活を反省せずにはいられませんでした。     (小山晶子牧師人)

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