「神である主はこう仰せられる。モアブとセイルは、『見よ、ユダの家は異邦の民と変わらない。』と言った。」(25:8)
モアブの国が裁かれる原因は、イスラエルの国も、ほかの国もまったく変わらないと言っているからだと言います。現代風に言いなおすならば、キリスト教も他の宗教も同じ、何も違いはないと言っているからだと言います。つまり、このような宗教多元主義の考え方は決して新しいものではなく、紀元前から存在していたということです。このグローバル世界において「共存」を考えることはとても大切なことです。しかし、根本的な神理解が違うのにもかかわらず、すべて同じとすることはできません。そして今日の箇所が私たちに伝えていることは、それはまた、天地万物を造られた創造主なる神、ヤハウェに対して失礼なことでもあるということです。聖書が教える神は、父なる神、子なる神キリスト、聖霊の三位一体なる神です。