「貧しい者は決して忘れられることがなく、苦しむ者の望みは、永遠に失せることがない。」(9:18)
16節で、神はさばきを行われることによって、ご自身を知らせる方だとダビデは歌います。「さばき」が意味するところは、物事を正すということです。だから、神のさばきを信じるがゆえにダビデは、貧しい人が忘れられ、苦しむ人の希望が滅びることはないと歌います。この世界の終わり、キリストが再び来られる時に、完全に、すべては正されます。しかし、神の国は、いまだであると同時に、すでに始まっています。神は私たちを用いて、この地を正すという神の御国をこの地にもたらせようとしています。神の御国は神の主権を認めることから始まります。だから、詩人は歌います。
「主よ。立ち上がり、人間が勝ち誇らないようにしてください。国々が御前でさばかれるようにしてください。主よ。彼らに恐れを起こさせ、国々に思い知らせてください。自らが人間にすぎないことを、」