「主よ。私は、あなたのおられる家と、あなたの栄光の住まう所を愛します。」(26:8)
ダビデは自分の栄光を求めることなく、神に栄光を帰すことを求めました。ですから、この詩はこのようにまとめられています。
「私は、数々の集まりの中で、主をほめたたえましょう。」(12節)
ダビデは人々が神に栄光を帰すように導きました。バプテスマのヨハネも、イエス・キリストを指し示し、自分の弟子たちに言いました。
「あの方は栄え、わたしは衰えねばならない。」(ヨハネ3:30新共同訳)
ワーシップ・リーダーのあるべき姿がここにあります。神の栄光だけが輝き、自分は薄れていく。旧約聖書の時代、神の栄光はエルサレムの神殿に見出すことができました。しかし今は、イエス・キリスト(ヨハネ1:14)に現されています。ですから、イエス・キリストを信じる者たちが主をほめたたえるただ中に、神の栄光は現わされます。