「その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。」(3節)
1節を浅野順一師はこのように訳しています。
「幸いなるかな、悪人の計りごとに歩まず、罪びとの道に立ちどまらず、また嘲る者の座に坐らぬ者。」
ちょうど山上の説教で、イエス様が八つの「幸いなるかな」から始められたように、この詩は始まります。悪人、罪人についての説明はありませんが、「嘲る者」は神のことばを嘲るということだと思われます。なぜなら、正しい者は、神のことばを喜びとしているからです。正しい者は、「水路のそばに植わった木」にたとえられていますが、周囲は枯れ果てた荒野が想定されているのだと思われます。川が流れているために、その木は夏も冬も枯れることなく、いつも青々と茂っていると。浅野師はこう言います。
「義人の願うところは皆成就し、そのなすところは成功するというのである。」