「浅はかな者はみな、ここに来なさい」と。」(9:16)
9章には、
「浅はかな者はみな、ここに来なさい」
という招きが二回出てきます。
一つ目は、4節で、知恵が招きます。もう一つは、今日の箇所で、「愚かな女」(13節)が招きます。つまり、知恵と愚かさは、日々、私たちを招き、私たちは日々選択が迫られているということです。しかも、その私たちの選択がいのちか死へと私たちを導くと言います。
知恵は言います。
「浅はかさを捨てて、生きなさい。分別のある道を、まっすぐに歩みなさい」(6節)。
それに対し、愚かさは言います。
「盗んだ水は甘く、こっそり食べるパンはうまい」(17節)。
結局のところ、その生き方の違いは主を恐れるかどうかということです。ですから、聖書は言います。
「主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟ることである。」(10節)