「あなたは、人を、神よりいくらか劣るものとし、これに栄光と誉れの冠をかぶらせました。」(5節)
浅野順一という牧師は、「劣るもの」と訳されているヘブル語は、「後に立つ」と解釈することができ、神は先に立ち、人間はそのうしろに立つ、神は導き、人はそれに従うという意味となると言います。確かに、これが本来の人間の姿でもあります。神を神として認め、神の導きに従う・・・ここに、人間としての栄光、誉れがあります。8篇の最初の行と最後の行は、同じ文章です。
「私たちの主、主よ。あなたの御名は全地にわたり、なんと力強いことでしょう。」
「私たちの主、主よ」というのは面白い表現です。実は後半の「主」は、神の名、「ヤハウェ」が使われています。「私たちの主、ヤハウェ」となります。「私たちの主」は肩書きで、「私たちを治める方、統治者」という意味があります。エルサレム途上で用いられた「ちいろば」のように、王なるイエス・キリストに従う人生こそ、栄光ある生き方です。