「相集って神をほめたたえよ。イスラエルの泉から主をほめたたえよ。」(68:26)
この詩は、契約の箱がダビデの町エルサレムに運び入れられたことを描いたと言われます。物理的に相集うことが難しい状態であったとしても、一致して祈り、礼拝を捧げることの重要性は変わりません。現代人は信仰を私事的なものとしてしまい、孤立して行うものとしてしまいました。しかし、今回のコロナ問題でも明らかにされたことは、信仰は公共的なものでもあり、共に集まり、祈り、礼拝することにも意味があるということだと思います。教会堂(礼拝堂)は、あってもなくても良いものではなく、私たちのこの地上における信仰生活において大切なものです。私たちは一日も早く教会堂(礼拝堂)をオープンにして、相集って神をほめたたえたいと祈ります。