「あなたを慕い求める人がみな、あなたにあって楽しみ、喜びますように。あなたの救いを愛する人たちが、『神をあがめよう。』と、いつも言いますように。」(70:4)
「神を慕い求める」のは、聖霊がその人の内におられる証拠です。使徒パウロもこう言っています。
「ただ捕えようとして追い求めているのである。そうするのは、キリスト・イエスによって捕えられているからである。」(ピリピ3:12口語訳)
パウロがここで大事にしているのは追求心で、クリスチャンというのは、常に神を慕い求めるという飢え渇きがある者ということです。神を慕い求めていく中で、主にある楽しみ、喜びを、体験して欲しいというのが、ダビデだけではなく、神ご自身が願っていることです。
「あなたの救いを愛する人たちが「神は大いなる方」といつも言いますように。」(新改訳二〇一七)
神を慕い求める人は、神の偉大さを体験します。神がどれほど大いなるお方かを体験します。