「しかし、私は、正しい訴えで、御顔を仰ぎ見、目ざめるとき、あなたの御姿に満ち足りるでしょう。」(15節)
LBでこう訳しています。
「しかし、私の関心は富にはなく、神様を見ているかどうか、また、神様との間がうまくいっているかどうかにあります。天で私が目覚める時、この上ない満足感にひたるでしょう。神様のみ顔をじかに見るからです。」
私たちのこの世での人生は、この地上の利得に心を奪われるか、それとも、神様を喜びとして生きていくかで、大きく変わっていきます。神様を自分の喜びとして生きていくならば、この世においても、もちろん楽しみを与えてくれるだけでなく、やがて、天の御国に着くとき、「この上ない満足感にひた」ります。ジョン・ストット牧師はこのように言っています。
「地上には大切な義務がありますが、自分が誰であるか、どこに向かっているのかを忘れるほど、そんなものに心を奪われてはいけません。」
信仰の創始者であり完成者であるイエス様から目を離すことがありませんように。