「苦しみのうちから私は主を呼び求めた。主は答えて私を広やかな地へ導かれた。」(118:5)
「苦しみ」と訳された単語(メーツァル)は狭い場所という意味があります。つまり、狭いところに追いやられる姿です。何もかも上手くいかず、狭い場所に追いやられているように感じるならば、その場所で、私たちは主を呼び求める必要があります。何よりも主が「わたしを呼べ。」(エレミヤ33:3)と言われていますから。主は私たちの祈りに答え、閉じ込められた所から広い所に導かれます。すなわち、解放を与えてくださいます。
「主に感謝せよ。なぜなら、主は良いお方(トーヴ)だから。主の信実の愛(へセド)はとこしえまで続くから。」(118:1私訳)イスラエル、アロンの家(祭司)、主を恐れる者たちは、エルサレム神殿における礼拝に集う人々全体が言い表されています。主に礼拝を捧げる人は、「主の信実の愛(へセド)はとこしえまで続く」ことを告白します。