「これは主が設けられた日。この日を楽しみ喜ぼう。」(118:24)
今日という日は、主が造られた日であり、今日という日を楽しみ、喜ぶように主は言われます。今日という日を感謝し、今日という日を生きること、それが神のみこころです。「設けられた」と訳された単語は「造られた」と訳すこともできますが、「行われた」と訳すこともできます。神は「今日」という日に御業を行われるお方です。
「家を建てる者たちが捨てた石それが要の石となった。これは主がなさったこと。私たちの目には不思議なことだ。」(22,23節)
人々が不必要と忌避し、棄てられたキリストが新しい時代の礎となりました。「不思議」(二フラー)とは歴史において実現した神の驚くべき御業を言います。私たちは神の「不思議」を通して、絶望を希望に変えてくださる神、人間には不可能に見えても、神にできないことはないという信仰が与えられます。