「私が平和を──と語りかければ彼らは戦いを求めるのだ。」(詩篇120:7)
一二〇篇から一三四篇までは、「都上りの歌」と表題が付けられています。「巡礼の歌」(A Pilgrim Song)とも訳されますが、エルサレム巡礼の時に歌われたと考えられています。詩人はシャローム「平和」を望んでいるのに、今、自分の周りには「平和」を憎み、「戦いを好みます。彼らのどなり声に、私の声もかき消されてしまいます。」(LB)と訴えます。聖書が言う「平和」は、単に戦争のない静的状態ではありません。健全で、いのちに溢れた動的状態です。月本氏によると旧約聖書の二三七の用例から同義語、類義語を拾い上げると、ツェデク「義」と結びつき、神のエメト「真実」とへセド「慈愛」に基づきます。それで、「地上における平和は、究極的に、ヤハウェによってもたらされる、と信じられ、またそう願われた」と言います。「私はイエス様が必要」と認めることが、教会に足を運ぶ一歩となります。