「主は、正しくあり、悪者の綱を断ち切られた。」(4節)
ユージーン・ピーターソンという学者は「主は、正しくあり」を「主はそれに甘んじず、私たちから離れない」と訳しています。そして、こんなことを言っています。「この詩で強調されていることは、神と私たちとの関係です。神は私たちのためにいつもそこにおられるということです。私たちの人生の中にある神の臨在こそが、私たちが人生を振り返ることができる理由です。」キリスト者が人生を振り返り、神をほめたたえることができる理由は、神の臨在をそこに認めることができるからだと言います。どんなに辛かったことも耐え忍ぶことができたのは、そこに神がおられたからだと。辛かったこと、悲しかったこと、苦しかったこと、失望したこと、その所を祝福の場所として見るとき、痛みは詩の一行となります。